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เพลงคริสเตียน | “รากกำเนิดแห่งการต้านทานของพวกฟาริสีที่มีต่อพระเยซู”

พวกเจ้าปรารถนาที่จะรู้ต้นตอว่าทำไมพวกฟาริสีจึงต่อต้านพระเยซูหรือไม่?
พวกเจ้าปรารถนาที่จะรู้ธาตุแท้ของพวกฟาริสีหรือไม่?
พวกเขาเต็มไปด้วยความเพ้อฝันเกี่ยวกับพระเมสสิยาห์
ที่ยิ่งไปกว่านั้นก็คือพวกเขาเชื่อเพียงว่าพระเมสสิยาห์จะเสด็จมา
ทว่าไม่ได้แสวงหาความจริงของชีวิต
และดังนั้น แม้กระทั่งวันนี้พวกเขาก็ยังคงรอคอยพระเมสสิยาห์
เพราะพวกเขาไม่มีความรู้เกี่ยวกับหนทางแห่งชีวิต
และไม่รู้ว่าหนทางแห่งความจริงคืออะไร
และไม่รู้ว่าหนทางแห่งความจริงคืออะไร
พวกเจ้าพูดว่า ผู้คนที่โง่เขลา ดื้อรั้นและรู้เท่าไม่ถึงการณ์เช่นนั้น
ได้รับพระพรของพระเจ้าได้อย่างไร?
พวกเขาจะสามารถมองเห็นพระเมสสิยาห์ได้อย่างไร?
พวกเขาจะสามารถมองเห็นพระเมสสิยาห์ได้อย่างไร?
พวกเขาต่อต้านพระเยซูเพราะ
พวกเขาไม่รู้ทิศทางของพระราชกิจของพระวิญญาณบริสุทธิ์
เพราะพวกเขาไม่รู้หนทางแห่งความจริงที่พระเยซูตรัส
และยิ่งไปกว่านั้น เพราะพวกเขาไม่เข้าใจพระเมสสิยาห์
และเนื่องจากพวกเขาไม่เคยพบเห็นพระเมสสิยาห์
และไม่เคยร่วมเคียงกับพระเมสสิยาห์
พวกเขาทำผิดพลาด
ที่ยึดติดอย่างสูญเปล่ากับพระนามของพระเมสสิยาห์
ในขณะที่ต่อต้านเนื้อแท้ของพระเมสสิยาห์ในทุกวิถีทางที่เป็นไปได้

ในธาตุแท้แล้ว พวกฟาริสีเหล่านี้
ดื้อรั้น โอหัง และไม่เชื่อฟังความจริง
หลักการของความเชื่อที่พวกเขามีในพระเจ้าคือ:
ไม่สำคัญว่าการประกาศของพระองค์จะลุ่มลึกเพียงใดก็ตาม
ไม่ว่าสิทธิอำนาจของพระองค์จะสูงส่งเพียงใดก็ตาม
มุมมองเหล่านี้ไม่ได้โง่เขลาหรอกหรือ?
มุมมองเหล่านี้ไม่ได้โง่เขลาและน่าขันหรอกหรือ?
ด้วยความที่พวกเจ้าไม่มีความเข้าใจเกี่ยวกับพระเยซูเลยแม้แต่น้อย
พวกเจ้าจะไม่ทำผิดพลาดอย่างพวกฟาริสี
ในช่วงยุคเริ่มแรกได้อย่างง่ายดายเหลือแสนหรอกหรือ?
เจ้าสามารถหยั่งรู้หนทางแห่งความจริงได้หรือไม่?
เจ้าสามารถรับประกันได้อย่างแท้จริงหรือไม่ว่าเจ้าจะไม่ต่อต้านพระคริสต์?
เจ้าสามารถรับประกันได้อย่างแท้จริงหรือไม่ว่าเจ้าจะไม่ต่อต้านพระคริสต์?
เจ้าสามารถติดตามพระราชกิจของพระวิญญาณบริสุทธิ์ได้หรือไม่?
หากเจ้าไม่รู้ว่าเจ้าจะต่อต้านพระคริสต์หรือไม่
เช่นนั้นแล้วพระเจ้าตรัสเลยว่าเจ้าก็กำลังใช้ชีวิตหมิ่นเหม่ใกล้ความตายแล้ว

จาก ติดตามพระเมษโปดกและขับร้องบทเพลงใหม่ๆ
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Христианские песни прославления «Божьей любовью не владеет ни одно сотворенное существо»

В Божьих словах сила жизни,
они указывают нам путь, которым следует идти,
и дают нам возможность понять, что есть истина.
Его слова начинают увлекать нас,
мы начинаем концентрироваться на тональности и манере Его речи
и подсознательно начинаем проникаться интересом
к самым сокровенным чувствам этого ничем непримечательного человека.

Он прилагает недюжинные усилия, трудясь ради нас,
теряет сон и аппетит из-за нас,
рыдает из-за нас, вздыхает из-за нас, стонет, болея из-за нас,
испытывает унижение ради места нашего предназначения и спасения,
и Его сердце кровоточит и обливается слезами из-за нашей бесчувственности и бунтарства.

Такой образ существования и поведения не присущ обычному человеку,
и никто из развращенных людей не может обладать ими либо достичь их.
Его терпимостью и терпением не обладает ни один обычный человек,
Его терпимостью и терпением не обладает ни один обычный человек,
и ни единое сотворенное существо не наделено Его любовью.
Его терпимостью и терпением не обладает ни один обычный человек,
Его терпимостью и терпением не обладает ни один обычный человек,
и ни единое сотворенное существо не наделено Его любовью.
из сборника «Следуйте за Агнцем и пойте новые песни»

https://www.youtube.com/watch?v=L9JAuKHo6R4

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日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 3」抜粋71

七の七十倍赦すこと
そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」(マタイによる福音書 18:21-22)
主の愛
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」(マタイによる福音書 22:37-39)
これら二つの聖句のうち一方では赦しについて、他方では愛について、それぞれ述べられている。この二つの問題では、正に主イエスが恵みの時代に遂行することを望んでいた業に焦点が置かれている。
神が受肉した時、神は業における特定の段階、すなわちこの時代に特定された業と、神が表出することを望んでいた性質を携えていた。この時期に人の子が行った業は、すべて神がこの時代に行うことを望んでいた業を中心とするものであった。神が行った業がそれよりも多いことも少ないことも、決してなかった。神が述べた言葉と行った業は、いずれもこの時代に関連するものであった。神がそれを人間の言葉で人間的に表出したか、神性的な言葉で表出したかを問わず、いずれの方法であったか、またいずれの観点であったかを問わず、神の目的は、神が遂行したいと考えた業、そして神の旨は何か、神の人間に対する要求は何かを人間が理解するのを助けることであった。神は様々な観点から様々な方法を用いて、神の旨と、人間を救う神の業を人間が理解するのを助ける場合もあった。そうしたわけで、恵みの時代には、主イエスが人間の言葉で神が人間に伝えることを望んでいた事柄を頻繁に表出した。さらに、神が普通の案内役の観点から、人々と会話し、人々が必要としていた物事を授け、人々が求めた事柄について人々を支援していることも確認できる。こうした方法による業は、恵みの時代以前の律法の時代には見られなかった。神は人間に対して一層懇意かつ哀れみ深くなり、また形式と方法の両方において実践的な結果を一層多く達成できることが可能となった。「七の七十倍」人を赦すという表現は、この点を十分に明示するものである。この表現の数値により実現された目的は、主イエスがこの旨を述べた時点で、イエスの旨を人々が理解できるようにすることである。主の旨は、人間は、一回や二回ではなく、七回でもなく、七の七十倍、他人を赦すべきである、ということであった。「七の七十倍」とは、どのような考えであろうか。それは、人間に赦しを自分自身の責任、人間が学ぶ必要がある事柄、そして守るべき道とさせることである。これは単なる表現に過ぎないものの、この表現は重要な点として機能した。この表現は、人間がイエスの言葉の意味を深く理解し、適切な実践方法を見出し、実践における原理と基準を見出す上で役立った。この表現は、人間は、赦し、すなわち無条件で、無制限に、しかし寛容な姿勢と他人に対する理解をもって赦すことを学ぶ必要がある、ということに関して、人々がそれを明瞭に理解する上で役立ち、そのことに関して、人々に正確な考えを与えた。主イエスがこう述べた時、イエスの心には何があったであろうか。イエスは本気で七の七十倍と考えていたか、というと、そうではない。神が人を赦す一定の回数というものがあるであろうか。ここで述べられている「回数」に強い関心を抱き、その数値の根拠と意味を真に理解することを求める者が大勢居る。こうした者は、主イエスがこの数値を述べた理由を理解したがるが、それはこうした者が、この数値には深い意味があると考えているからである。実際には、この部分は神による人間的な表現に過ぎない。含意や意味は、すべて主イエスの人間に対する要求に即したものである必要がある。神が受肉していなかった時、神の言葉が完全な神性から発せられたものであったため、人間は神の言葉の多くを理解していなかった。人間には理解できない霊的領域において言葉が表出されていたので、神の言葉の観点と背景は人間にとって見えないものであり、到達不可能なものであった。肉を持つ人間にとって、霊的領域に立ち入ることは不可能であった。しかし神が受肉した後、神は、人間の観点から人間に対して語り、この対話は霊的領域を超えた。神は、神の神性の性質、旨、姿勢を、人間が想像できる物事、生活の中で見たり遭遇したりしていた物事により、人間が受け入れられる方法を用い、人間が理解できる言葉で、また人間が把握できる知識で表出することにより、人間が神を理解し知り、人間の能力の範囲内かつ人間に可能な程度で、神の意図と神が求める基準を理解できるようにすることが可能であった。これが、人性における神の業の方法と原則であった。神が肉にあって業を行う方法と原則は専ら人性により達成されたが、そうした方法と原則により、神性から直接業を行う事では達成できない結果が実際に得られた。神の人性による業は比較的具体的であり、真正であり、対象が特定されているものであり、また方法は格段に柔軟であり、形式においては律法時代よりも優れたものであった。
ここからは、主を愛し、隣人を自分と同様に愛することについて取り上げる。これは、神性において直接表出されたものであったかというと、明らかにそうではない。これは、人の子が人性として述べたことである。「隣人を自分と同様に愛せよ。他人を愛すことは自分自身の命を大切にすることと同じである」などと言うのは人間のみであり、このような言い方をするのは人間のみである。神はこのような話し方をしない。少なくとも、神性の神にはこの種の言葉がない。なぜなら、神の人間に対する愛は、神の中にある物事や神の存在の自然な表出と顕現であり、そのため神の人間に対する愛を統制する上で、神には「隣人を自分と同様に愛せよ」といった信条は不要だからである。神が「わたしは自分を愛するのと同様に人間を愛する」などと言っているのを聞いたことがあるであろうか。愛は神の真髄と神の中にある物事や神の存在にあるからである。神の人間に対する愛と、神による人間の扱い方、そして神の姿勢は、神の性質の自然な表出であり、啓示である。神は、隣人を自身と同様に愛すために、そうしたことを意図的に特定の方法で行ったり、意図的に特定の方法や倫理規則に従ったりする必要はない。神にはこの種の真髄が既に存在するからである。このことから何が分かるであろうか。神が人性で業を行った場合、神の方法、言葉、真理はすべて人間的方法で表出される。しかし、これと同時に、人々が神の性質、神の中にある物事や神の存在、神の旨を知り、理解できるように、これらの事柄が人々に対して表出される。人間が知り、理解したことは、まさしく神の真髄と神の中にある物事や神の存在であり、それらにより神自身に固有の身分と地位が示される。つまり、受肉した人の子は神自身に固有の性質と真髄を、最大限かつ出来るだけ正確に表出する。人の子の人性が人間と天の神との意思疎通や相互交流の障害や障壁とはならなかったのみならず、その人性は実際のところ、人間にとって創造主とを繋ぐ唯一の経路であり、架け橋であった。この時点で、あなたがたは、主イエスが恵みの時代に遂行した業の性質や方法と、現在における業の段階の間に多くの類似性があると感じないだろうか。現在における業の段階でも人間の言葉が大量に使用されて神の性質が表出され、この段階では人間の日常生活における言葉と方法、そして人間の知識を大いに使って、神自身の旨が表出される。神が受肉した後、神が人性の観点から言葉を述べているか神性の観点から言葉を述べているかを問わず、神の言葉と表出の方法は、すべて人間の言葉と方法を媒介としている。すなわち、神が受肉した時は、神の全能と知恵を理解し、神の真の側面全てを知る上で、あなたにとって最高の機会である。神が受肉して成長している間に、神は人間の知識、常識、言葉、人性における表現方法の一部を理解し、学習し、把握した。受肉した神は、神が創った人間から生まれたこれらの物事を持っていた。これらの物事は、神の性質や神の神性を表出する際に、受肉した神の手段となり、神が人間の中で人間の観点から人間の言葉で業を行った際に、これらの物事により、神は業を一層適切であり、真正であり、正確なものとすることが出来た。これらの物事により、人々にとって、神の性質や神の神性が近づきやすいものとなり、一層容易に理解され、したがって神が望んでいた結果が実現した。神にとって、こうして肉にあって業を行った方が、より実践的ではないだろうか。それは神の知恵ではなかろうか。神が受肉し、神の身体が、神が望む業を遂行可能になった時に初めて、神が、地にあって神の性質や業を表出し、そして人の子として神の務めを正式に開始することができた。このことは、神と人間との間に、もはや淵が存在しないこと、神はほどなくして使いによる意思疎通を行わなくなり、肉体を持った神自身が、神が望んでいたあらゆる言葉と業を表出できることを意味するものであった。またこのことは、神が救う人々は神の近くにあり、神の経営の業が新たな領域へと入ったこと、あらゆる人間が新時代を迎えようとしていることを意味するものでもあった。

『言葉は肉において現れる』より引用
https://www.youtube.com/watch?v=aZxx7LRinv4

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日々の神の御言葉:神を知る  

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매일의 하나님 말씀 <유일무이한 하나님 자신 1>(발췌문 98)
사탄에 대한 하나님의 분부
(욥 2:6) “여호와께서 사단에게 이르시되 내가 그를 네 손에 붙이노라 오직 그의 생명은 해하지 말찌니라”
사탄은 감히 창조주의 권능을 초월하지 못했으며 만물은 규칙 가운데 생존한다
이것은 욥기에서 발췌한 말씀이다. 이 말씀 가운데의 ‘그’는 욥을 가리킨다. 이 말씀은 비록 짧지만, 많은 문제들을 설명하고 있다. 그것이 기록한 것은 하나님이 영계에서 사탄과 나눈 구체적인 대화로서, 하나님이 말씀하는 대상인 사탄을 설명하였다. 또한 하나님 말씀의 구체적인 내용을 기록하였다. 그 내용은 사탄에 대한 하나님의 분부이고 명령이다. 그 명령의 세부적인 사항은 욥의 목숨과 관련되며, 하나님이 사탄에게 정해 준 욥을 대하는 마지노선에 관련된다. 즉, 오직 욥의 생명은 해하지 말라는 것이다. 이 말씀으로부터 우리는 우선 이것이 하나님이 사탄에게 한 말씀이며, 욥기의 원문과 결부시켜 하나님이 어떠한 배경하에서 이러한 말씀을 했는지 이해할 수 있다. 사탄은 욥을 참소하고자 했기 때문에 반드시 하나님의 동의를 얻어야만 욥을 시험할 수 있었다. 하나님이 욥을 시험하고자 하는 사탄의 요구를 들어준 상황에서, 하나님은 사탄에게 이러한 조건을 걸었던 것이다. 하나님이 말씀하였다. “내가 그를 네 손에 붙이노라 오직 그의 생명은 해하지 말찌니라”, 이 말씀은 어떤 성격을 띠느냐? 확실히 그것은 분부이고 명령이다. 이 말씀의 성격을 파악한 후에 너는 이 명령의 선포자가 하나님이며, 명령을 받아들이는 자가 사탄임을 알게 될 것이다. 말할 것도 없이 이 양자의 관계는 그 명령을 통해 이 말씀을 읽는 모든 이들에게 보여 준다. 물론 이 역시 성경에서 하나님과 사탄의 대화 기록에서 보여 주는 영계에서의 하나님과 사탄 사이의 관계이며, 하나님과 사탄의 신분과 지위의 차이이다. 또한 지금까지 인류가 구체적인 사례와 구체적인 문자 기록을 통해 알게 된 하나님과 사탄의 신분, 지위는 확연히 다르다는 것이다. 여기서 나는 이 기록이 인류가 하나님의 신분과 지위를 아는 데 있어 중요한 문헌이며, 인류에게 하나님을 알아가는 데 필요한 중요한 정보를 제공하였고, 그것으로 영계에서의 창조주와 사탄의 대화 중 일부를 통해 창조주 권능의 구체적인 내용을 이해하게 했다고 말하지 않을 수 없다. 이 말씀 속에서 창조주의 유일무이한 권능이 또 한 번 입증되었다.
외적으로 볼 때, 여호와 하나님은 사탄과 대화를 나누고 있지만 실제로 말씀하는 태도와 서 있는 위치는 사탄보다 높다. 즉, 여호와 하나님은 명령하는 어조로 사탄에게 분부한 것이다. 사탄이 무엇을 해야 하고, 무엇을 하면 안 되는지를 알려 주고, 욥을 이미 사탄의 손에 붙였으니 마음대로 욥을 대할 수는 있으나 욥의 생명을 취할 수는 없음을 알려 주고 있다. 그 함축적 의미는 비록 욥을 사탄의 손에 붙였으나 욥의 생명까지 붙인 것은 아니라는 것이다. 하나님의 허락이 있지 않고서는 그 누구도 하나님에게서 욥의 생명을 빼앗아 갈 수 없다는 것이다. 하나님의 태도는 사탄에게 한 이 명령에서 아주 명확하게 나타난 동시에, 여호와 하나님이 사탄과 대화하며 서 있던 위치 역시 이 명령에서 나타났다. 여호와 하나님이 서 있는 위치는 빛과 공기를 만들고 만물과 생명체를 만든 하나님일 뿐만 아니라, 만물과 생명체를 주재하는 하나님이고, 인류를 주관하고 음부를 주관하는 하나님이며, 모든 생명체의 생과 사를 주관하는 하나님인 것이다. 영계에서 하나님을 제외하고 누가 감히 사탄에게 이와 같은 명령을 내릴 수 있겠느냐? 하나님은 또한 어찌해서 사탄에게 친히 명령을 내린 것일까? 욥의 목숨을 포함해서 사람의 생명은 모두 하나님이 주관하고, 하나님은 사탄이 침해하는 것을 허락지 않으며, 욥의 생명을 빼앗아 가는 것도 허락하지 않기 때문이다. 즉, 하나님은 사탄에게 욥을 시험하도록 허락했을 때에도, 욥의 생명을 앗아가지 말라는 이 특별한 뜻을 전달하는 것을 잊지 않았다. 하나님의 권능에 대해 사탄은 감히 초월할 수 없으며, 하나님의 명령과 구체적인 분부에 대해 사탄은 각별히 조심하고 명령에 복종하고 따르며 감히 저항할 엄두를 내지 못한다. 물론 사탄 역시 마음대로 하나님의 어떤 명령도 바꿀 수 없다. 이것은 하나님이 사탄에게 허락한 범위이다. 그러므로 사탄은 감히 그 범위를 벗어날 수 없다. 이것이 하나님 권능의 위력이 아니겠느냐? 하나님 권능을 입증하는 것이 아니냐? 사탄은 하나님을 어떻게 대해야 하고, 자기가 속으로 하나님을 어떻게 생각해야 하는지, 인류보다 훨씬 잘 안다. 하나님의 지위와 권능에 대해 사탄은 영계에서 확실하게 보았다. 하나님 권능의 위력과 하나님의 권능이 행사되는 원칙에 대해 사탄은 깊이 느꼈다. 그래서 감히 태만하거나 그 어떤 것도 위반하려고 하지 못하며, 감히 하나님 권능을 벗어나 그 어떤 일도 하지 못한다. 또한 하나님의 진노 앞에서도 그 어떤 도전도 감히 하지 못한다. 사탄은 본성이 사악하고 교만할지라도, 하나님이 정해 준 한계와 범위를 감히 벗어나지 못했다. 천만년 동안, 사탄은 엄격하게 그 한계를 지키며 그에 대한 하나님의 모든 분부와 명령을 준수하며 지금껏 감히 한계선을 벗어날 생각을 한 적이 없다. 사탄이 비록 악독하긴 하지만, 타락한(직역: 패괴된) 인류보다 훨씬 ‘현명’하다. 사탄은 창조주의 신분을 알고 자신의 한계를 안다. ‘규율을 지키는’ 사탄의 행위로부터 하나님의 권세와 능력은 사탄이 뛰어넘을 수 없는 천상의 법칙이라는 것을 알 수 있다. 또한 하나님의 유일성, 하나님의 권능으로 인해 만물이 법칙 가운데 변화하고 성장할 수 있으며, 인류가 하나님이 제정한 궤적 가운데서 번성하며 살아갈 수 있는 것이다. 그 누구도 그 어떤 것도 이 규율을 깰 수 없고 이 법칙을 바꿀 수 없다. 왜냐하면 그것들은 모두 창조주의 손으로부터 나온 것이고, 창조주의 결정에서 온 것이며, 창조주의 권능으로부터 나온 것이기 때문이다.
― ≪말씀이 육신으로 나타남≫ 중에서

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매일의 하나님 말씀 시리즈
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매일의 하나님 말씀 ― 하나님 알아 가기
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매일의 하나님 말씀 ― 3단계 사역
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매일의 하나님 말씀 ― 성육신
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전능하신 하나님 말씀 낭송 영상 모음
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每日神話 《如何進入正常的情形之中》 選段412
  人越接受神的話越有開啓,越能飢渴慕義地追求認識神。只有接受神話語的人才能有更深、更豐富的經歷,生命才能像芝麻開花一樣節節高。作為每一個追求生命的人都應把此事當作一個專職工作來對待,應該有「無神不能活,無神一事無成,無神一切虚空」這個感覺,也應該有「没有聖靈同在什麽都不做,讀神話達不到果效任何事都無心做」這個心志,不要遷就自己。生命經歷是神開啓、引導來的,也是你們主觀努力的結晶,你們都應有「在生命經歷上不能饒恕自己」這個要求。
  有時光景不正常,失去了神的同在,禱告也摸不着神了,在此時有害怕的感覺是正常的,應該及時來尋求,否則神會遠離你,一天、兩天以至于一個月、兩個月没有聖靈的同在,更無有聖靈的作工。處于這種情况,你就麻木到一個地步,又一次被撒但擄去,甚至什麽事都能做得出來,貪戀錢財、欺騙弟兄姊妹、看電影、看録像、搓麻將,甚至你抽烟、喝酒都無管教,心遠離神,偷着搞獨立,隨意論斷神的作工,有的嚴重到一個地步,在男女上犯罪都不覺羞耻,不覺臉紅。這樣的人是聖靈離弃的人,其實早無聖靈作工了,在這樣的人身上只能看見他越來越敗壞,罪惡的雙手越伸越長,最後他否認這道的存在,隨着罪而被撒但擄去。若是你發現只有聖靈同在却無聖靈的作工,這已是很危險的境地,當你感覺不到聖靈的同在時,那你已是在死亡的邊緣上了,若你再不悔改,你就完全歸給撒但了,屬于被淘汰了。所以説,當你發現自己的情形是只有聖靈的同在(就是不犯罪、不放蕩,不做明顯的抵擋神的事),但却没有聖靈的作工(就是禱告也無感動,吃喝神話無明顯的開啓、光照,總是懶得吃喝神話,生命總也没有長進,多長時間没有一點大的光照),在這個時候你就得多加幾分小心了,不能遷就自己了,不能再任着自己的性子來,聖靈的同在會隨時消失,所以這種情况是最危險的時候。你若遇到這樣的情形,你就趕快挽回,首先應做到有悔改的禱告,求神再施憐憫,作更懇切的禱告,而且把心安静下來更多地吃喝神的話,在此基礎上還得多作禱告,唱詩、禱告、吃喝神話或盡本分都得加强。在最軟弱的時候心最容易被撒但占有,若是這樣的話,你的心就從神的面前被帶走又歸給撒但了,隨之你就無有聖靈的同在,此時你再恢復聖靈的作工那就難上加難了,不如趁着有聖靈同在再尋求聖靈的作工,讓神更多地開啓你,不讓神離弃你。你禱告、唱詩、盡功用、吃喝神話都是為了不讓撒但有作工的機會,而藉此來讓聖靈作工在你身上。若你不這樣恢復,只是等待,當你失去聖靈同在就不好恢復,除非是聖靈特别的感動,特别的光照開啓,就是這樣,你的情形也不是一天兩天可以恢復的,甚至有時半年都恢復不了,這都是人放鬆自己的緣故,不能正常地經歷,因而被聖靈離弃。即使恢復了,對神現時的作工也不是多麽透亮的,因為生命經歷已落下好遠,似乎是一落千丈,這不是要命的事嗎?但我告訴這樣的人,若是現在悔改還不算晚,但必須得有一個條件,就是多下苦功,不得懶惰。别人一天禱告五次,你得禱告十次;别人一天有兩小時的吃喝,你得有四個以至于六個小時的吃喝;别人聽兩小時的詩歌,你最起碼得拿出半天的時間聽詩歌。常常安静在神面前,思念神的愛,直到受感動,心歸向神了,不敢再遠離神了才有果效,只有這樣實行才能恢復以往的正常情形。
                                                                                                                  ——摘自《話在肉身顯現》

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【現場直擊】反陳菊任監察院長!國民黨召開記者會說明 20200630
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ဘုရားသခင္၏ ေန႔စဥ္ ႏႈတ္ကပတ္ေတာ္မ်ား | “ခရစ္ေတာ္၏ဂုဏ္ျဒပ္မွာ ေကာင္းကင္ဘုံ၌ ရွိေတာ္မူေသာ ခမည္းေတာ္၏ အလိုေတာ္ကို ေဆာင္ျခင္းျဖစ္သည္” | ေကာက္ႏုတ္ခ်က္ ၁၀၅

လူ႔ဇာတိခံယူေသာ ဘုရားသခင္ကို ခရစ္ေတာ္ဟုေခၚၿပီး ခရစ္ေတာ္သည္ ဘုရားသခင္၏ ဝိညာဥ္ေတာ္အားျဖင့္ ဖုံးလႊမ္းထားသည့္ ဇာတိခႏၶာျဖစ္သည္။ ယင္းဇာတိခႏၶာမွာ အေသြးအသားတို႔ျဖင့္ တည္ေဆာက္ထားသည့္ မည္သည့္ လူသားတစ္ဦးတစ္ေယာက္ႏွင့္မွ် မတူညီေပ။ ဤသို႔ကြဲျပားျခားနားရျခင္းမွာ ခရစ္ေတာ္သည္ အေသြးအသားျဖင့္ တည္ေဆာက္ထားျခင္း မဟုတ္ဘဲ ဝိညာဥ္ေတာ္၏ လူ႔ဇာတိခံယူျခင္း ျဖစ္ေသာေၾကာင့္ျဖစ္သည္။ သူ၌ သာမန္လူ႔သဘာဝႏွင့္ ၿပီးျပည့္စုံေသာ ဘုရားသေဘာသဘာဝ ႏွစ္မ်ိဳးလုံးရွိသည္။ သူ၏ ဘုရားသေဘာသဘာဝကို မည္သည့္လူသားမွ် ပိုင္ဆိုင္ထားျခင္းမရွိ။ သူ၏ဘုရားသေဘာသဘာဝအားျဖင့္လည္း ဘုရားသခင္ကိုယ္ေတာ္တိုင္၏ အလုပ္ကို လုပ္ေဆာင္ေနသည့္ အေတာအတြင္း သာမန္လူ႔သဘာဝအတိုင္း အေသြးအသားျဖင့္ သာမန္လႈပ္ရွားမႈ အားလုံးတို႔ကို ဆက္လက္လုပ္ေဆာင္ေနသည္။ လူ႔သဘာဝျဖစ္ေစ သို႔မဟုတ္ ဘုရားသေဘာသဘာဝျဖစ္ေစ ႏွစ္မ်ိဳးစလုံးသည္ ေကာင္းကင္ဘုံ၌ ရွိေတာ္မူေသာ ခမည္းေတာ္၏ အလိုေတာ္အတိုင္း နာခံလုပ္ေဆာင္သည္။ ခရစ္ေတာ္၏ဂုဏ္ျဒပ္မွာ ဝိညာဥ္ေတာ္ျဖစ္သည္၊ ဆိုလိုသည္မွာ ဘုရားသေဘာသဘာဝ ျဖစ္သည္။ ထို႔ေၾကာင့္ သူ၏ဂုဏ္ျဒပ္မွာ ဘုရားသခင္ ကိုယ္ေတာ္တိုင္ပင္ ျဖစ္သည္၊ ယင္းဂုဏ္ျဒပ္မွာ သူ၏အလုပ္ကို ေႏွာင့္ယွက္လိမ့္မည္မဟုတ္၊ သူ႔အေနျဖင့္ သူ၏အလုပ္ကို ဖ်က္ဆီးမည့္ မည္သည့္အမႈမ်ိဳးကိုမွ် လုပ္ေဆာင္လိမ့္မည္ မဟုတ္၊ ထို႔ျပင္ သူ၏အလိုေတာ္ကို ဆန္႔က်င္ဖက္ျပဳမည့္ မည္သည့္စကားလုံးကိုမွ် သူမိန္႔ႁမြက္လိမ့္မည္ မဟုတ္ပါ။ ထို႔ေၾကာင့္ လူ႔ဇာတိခံယူေသာ ဘုရားသခင္သည္ သူ၏ကိုယ္ပိုင္စီမံခန္႔ခြဲမႈကို အေႏွာင့္အယွက္ ျဖစ္ေစသည့္ မည္သည့္အလုပ္ကိုမဆို ဘယ္ေသာအခါမွ် လုံးဝ လုပ္ေဆာင္လိမ့္မည္ မဟုတ္ပါ။ ဤသည္မွာ လူသားအားလုံး နားလည္ သေဘာေပါက္သင့္သည့္အရာ ျဖစ္သည္။ သန္႔ရွင္းေသာ ဝိညာဥ္ေတာ္ အလုပ္၏ အႏွစ္သာရမွာ လူသားတို႔ကို ကယ္တင္ရန္ႏွင့္ ဘုရားသခင္၏ ကိုယ္ပိုင္စီမံခန္႔ခြဲမႈ အဖို႔အလို႔ငွာ ျဖစ္သည္။ ထိုနည္းတူစြာ ခရစ္ေတာ္၏ အလုပ္မွာ လူသားတို႔ကို ကယ္တင္ရန္ႏွင့္ ဘုရားသခင္၏ အလိုေတာ္အဖို႔အလို႔ငွာ ျဖစ္သည္။ ဘုရားသခင္သည္ လူ႔ဇာတိခံယူေသာေၾကာင့္ သူသည္ သူ၏ဇာတိခႏၶာအတြင္း သူ၏အႏွစ္သာရကို ႐ုပ္အေကာင္အထည္ေပၚေစသျဖင့္ သူ၏ဇာတိခႏၶာသည္ သူ၏အလုပ္ကို ေဆာင္႐ြက္ရန္ လုံေလာက္၏။ ထို႔ေၾကာင့္ လူ႔ဇာတိခံယူသည့္ အေတာအတြင္း ဘုရားသခင့္ ဝိညာဥ္ေတာ္၏ အလုပ္အားလုံးကို ခရစ္ေတာ္၏ အလုပ္ျဖင့္ အစားထိုးလိုက္သည္၊ ထို႔ျပင္ လူ႔ဇာတိခံယူသည့္အခ်ိန္ တစ္ေလွ်ာက္လုံးတြင္ အလုပ္အားလုံး၏ အဓိကအခ်က္အခ်ာ၌ ခရစ္ေတာ္၏အလုပ္ ရွိေပသည္။ ထိုအလုပ္သည္ အျခားေသာ ေခတ္အဆက္ဆက္မွ မည္သည့္အလုပ္မ်ိဳးႏွင့္မွ် ေရာယွက္ေန၍ မရပါ။ ဘုရားသခင္သည္ လူ႔ဇာတိခံယူေသာေၾကာင့္ သူ႔ဇာတိခႏၶာ၏ ကိုယ္ပိုင္လကၡဏာႏွင့္အညီ အလုပ္လုပ္သည္၊ လူ႔ဇာတိကို သူခံယူသည့္အတြက္ သူလုပ္သင့္လုပ္ထိုက္ေသာအလုပ္ကို ဇာတိခႏၶာျဖင့္ လုပ္ေဆာင္ၿပီးစီးသည္။ ဘုရားသခင္၏ ဝိညာဥ္ေတာ္ျဖစ္ေစ သို႔မဟုတ္ ခရစ္ေတာ္ပင္ျဖစ္ေစ၊ ႏွစ္မ်ိဳးစလုံးမွာ ဘုရားသခင္ ကိုယ္ေတာ္တိုင္ပင္ျဖစ္ၿပီး သူလုပ္သင့္လုပ္ထိုက္ေသာ အလုပ္ကို သူလုပ္ေဆာင္ၿပီး သူေဖာ္ေဆာင္သင့္ေသာ အမႈေတာ္ကိုလည္း သူေဖာ္ေဆာင္သည္။

“ခရစ္ေတာ္၏ဂုဏ္ျဒပ္မွာ ေကာင္းကင္ဘုံ၌ ရွိေတာ္မူေသာ ခမည္းေတာ္၏ အလိုေတာ္ကို ေဆာင္ျခင္းျဖစ္သည္” မွ
https://reurl.cc/mn55jY

သခင္ျပန္ႂကြလာၿပီ။ ဘုရားသခင္၏ ေျခလွမ္းမ်ားကို သင္ ရွာေဖြၿပီးၿပီလား။ ကြၽႏ္ုပ္တို႔ကို ဆက္သြယ္ဖို႔ အားမနာပါႏွင့္။
Messenger:
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အႀကံျပဳ :
ဘုရားသခင္၏ ေန႔စဥ္ ႏႈတ္ကပတ္ေတာ္မ်ား- လူ႔ဇာတိခံယူျခင္း 

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