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Tagalog Christian Song With Lyrics | "Paanong Hindi Malulungkot ang Diyos"
I
Natikman na ng Diyos, tamis, asim, pait, anghang,
bawat lasa ng karanasan ng tao.
Dumarating Siya sa hangin, kasama Siya sa ulan.
Naranasan Niya ang pang-uusig ng pamilya,
dumanas Siya ng maraming hirap at kabiguan ng buhay,
ang sakit ng pagkahiwalay sa Kanyang katawan.
Nang dumating sa lupa ang Diyos,
sa halip na tanggapin Siya
dahil sa hirap na dinanas Niya,
"magalang" na tumanggi ang tao
sa mabubuting layon ng Diyos.
Paanong di Siya masasaktan at ikalulungkot ito?
II
Maaari ba na nagkatawang-tao ang Diyos
para lang matapos ito nang ganito?
Bakit di mahal ng tao ang Diyos?
Bakit sinusuklian ng galit ang Kanyang pag-ibig?
Dahil kaya sa dapat lang magdusa nang ganito ang Diyos?
Nang dumating sa lupa ang Diyos,
sa halip na tanggapin Siya
dahil sa hirap na dinanas Niya,
"magalang" na tumanggi ang tao
sa mabubuting layon ng Diyos.
Paanong di Siya masasaktan at ikalulungkot ito?
III
Ang mga tao'y lumuha na sa pagsimpatiya
dahil sa paghihirap ng Diyos sa mundo.
Dumaing sila laban sa mga mali
ng Kanyang kasawiang-palad.
Ngunit sino ba ang nakakaalam sa puso ng Diyos?
Nang dumating sa lupa ang Diyos,
sa halip na tanggapin Siya
dahil sa hirap na dinanas Niya,
"magalang" na tumanggi ang tao
sa mabubuting layon ng Diyos.
Paanong di Siya masasaktan at ikalulungkot ito?
IV
Sino’ng makauunawa sa damdamin ng Diyos?
Minsang nagkaroon ng malalim
na pagmamahal ang tao sa Diyos,
nanabik nang madalas sa Kanya sa kanilang pangarap.
Ngunit paano mauunawaan ng nasa lupa
ang Kanyang kalooban sa langit?
Nang dumating sa lupa ang Diyos,
sa halip na tanggapin Siya
dahil sa hirap na dinanas Niya,
"magalang" na tumanggi ang tao
sa mabubuting layon ng Diyos.
Paanong di Siya masasaktan at ikalulungkot ito?

mula sa Sumunod sa Cordero at Kumanta ng mga Bagong Awitin
https://reurl.cc/exXVr7

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おすすめ動画
日々の神の御言葉「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」(抜粋 1)
https://youtu.be/EtvCsLj1WtM
日々の神の御言葉「神の経営の中でのみ人は救われる」(抜粋1) https://youtu.be/6FbnaoUfScU

日々の神の御言葉「今日の神の働きを知るということ」(抜粋2)
世の終わりに受肉した神は、言葉を発することを主目的として来た。人間のいのちに必要なことをすべて説明し、どの人が入るのかを示し、神の働きを見せ、神の知恵・全能・驚くべきさまを見せるために来た。神はさまざまな方法で語るが、人間はそこに神の至高、神の偉大さ、さらに、神の謙虚と神秘なさまを見る。人間は神が至上の存在であることを見るが、神は謙虚で隠されており、最も小さい者になれる。神の言葉のあるものは霊の観点から直接語られ、あるものは人間の観点から直接語られ、またあるものは第三者の観点から語られる。ここから神の働きが変化に富んでいることがわかるが、神は言葉を通して人間がそれを知るようにする。世の終わりの神の働きは正常で真実である。そして、世の終わりに一群の人々は最大の試練にさらされることになる。神の正常と神の現実性とのため、すべての人はそうした試しを受ける。人間が試されることになったのは、神の正常と神の現実性のためである。イエスの時代、試練や概念はなかった。イエスの働きのほとんどは人間の観念に合致していたため、人々はイエスに従い、イエスの観念も持たなかった。今日の試練は人間がこれまでに臨んできたもののうちでも最大のもので、その人たちが大いなる苦難を経てきたと言うときには、まさに苦難を指しているのである。

今日、神は信仰・愛・忍耐、そして従順をこの人々の中に創り出すために話す。世の終わりに受肉した神の語る言葉は、人間の性質、人間の行動、人間が今日必要な成長に沿った事がらである。神の話す方法[a]は真実で正常のものである。神は明日のことは話さない。また、昨日を振り返ることもない。今日成長し、実践し、理解するべき点についてだけ話す。この時代に、しるしや不思議を起こせる人が現れ、悪魔を追い払い、癒やし、多くの奇跡を起こし、またその人がイエスの再来であると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。神の働きは人間の観念とは相容れない。たとえば、旧約はメシアの到来を予言した。それでイエスが来たのだ。だから、別のメシアがまた来るというのは、間違っている。イエスはすでに一度来た。だから、イエスがこの時代に再び来るというのは、間違いだ。すべての時代は一つの名をもち、その名は各時代を表している。人間の観念では、神は常にしるしや不思議を見せ、癒やし、悪霊を追い払い、いつでもイエスのようでなければならないのだが、今の神はまったくの別物である。もし終わりの日に神がしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり癒やしたりしていたら──それならば、神はイエスの働きと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。こうしたことを理解しておきなさい。なぜ今日、神の働きはイエスの働きと異なっているのか。なぜ今日の神はしるしや奇跡を示さず、悪霊を追い払わず、癒やしもしないのか。もしイエスの働きが律法の時代に行われた働きと同じであれば、恵みの時代の神を現すことができただろうか。イエスは磔刑の働きを完了できたろうか。もし律法の時代のようにイエスが神殿に入り、安息日を守ったなら、誰からも迫害を受けず、みなに受け入れられたろう。それならば、磔刑に処せられただろうか。贖いの働きを完了できたろうか。終わりの日に受肉した神がイエスのようにしるしや不思議を見せたなら、何の意味があろう。終わりの日に神が働きの別の部分、経営(救いの)計画の別の部分の働きをしてはじめて、人間は神についてより深い知識を得るのであり、そうしてはじめて、神の経営(救いの)計画は完了する。
『言葉は肉において現れる』より引用

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全能神教會獨唱歌曲《接受末世基督的審判才能得潔净》【詩歌MV】
1 你只知道耶穌末世要降臨,到底他如何降臨?就你們這樣一個罪人,剛被救贖回來,不經變化,不經神成全,你能合神心意嗎?就你現在的老舊人,耶穌把你拯救回來了這并不假,你不屬罪這是因着神的拯救,但并不能證明你没罪、没污穢,你没經變化如何能聖潔呢?你裏面還盡是污穢,又自私又卑鄙,你還想跟耶穌一同降臨,有那麽美的事嗎?你信神少一步過程,只是被救贖,没經變化。                
2 要合神心意非得神親自作工神親自作工來變化潔净你,否則你只被救贖不可能達到聖潔,這樣你就没資格與神同享美福,因你在神經營人的工作中落下了一步,就是變化、成全的關鍵一步,所以,你一個剛被救贖的罪人不能直接承受不能直接承受神的産業。第二次道成肉身不再是作贖罪祭了,而是將那些從罪中贖出來的人將那些從罪中贖出來的人徹底拯救出來,讓那些罪得赦免的人能够脱離罪,得着完全的潔净,達到性情變化而脱離撒但的黑暗權勢,歸到神的寶座前,這樣人才完全聖潔了,這樣人才完全聖潔了,這樣人才完全聖潔了。                
——摘自《跟隨羔羊唱新歌》                

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كلمات الله اليومية – مَنْ يعرفون الله وعمله هم وحدهم مَنْ يستطيعون إرضاءه (اقتباس 4) – إنجيل اليوم 
https://reurl.cc/8Gqbb4

كلمات الله اليومية – الذين يعرفون عمل الله اليوم هم الوحيدون الذين قد يخدمون الله (اقتباس 2)
https://www.youtube.com/watch?v=_3blQ...
كلمة الله – مَنْ يعرفون الله وعمله هم وحدهم مَنْ يستطيعون إرضاءه(اقتباس 1) – إنجيل اليوم
https://www.youtube.com/watch?v=u0jLB...
كلمة الله -مَنْ يعرفون الله وعمله هم وحدهم مَنْ يستطيعون إرضاءه - إنجيل اليوم
https://www.youtube.com/watch?v=kYmpF...
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💖🌱🌱“你們這因信蒙神能力保守的人,必能得著所預備、到末世要顯現的救恩。因此,你們是大有喜樂;但如今,在百般的試煉中暫時憂愁,叫你們的信心既被試驗,就比那被火試驗仍然能壞的金子更顯寶貴,可以在耶穌基督顯現的時候得著稱讚、榮耀、尊貴。你們雖然沒有見過他,卻是愛他;如今雖不得看見,卻因信他就有說不出來、滿有榮光的大喜樂,並且得著你們信心的果效,就是靈魂的救恩。(彼前1:5-9)

“💖🌱🌱主人公遭受病毒的折磨,在绝望中真心呼求神,仰望、依靠神,终于看到了奇迹,最后深切地告诉我们:“他知道你需要的,知道你心灵的渴望,不要低估神在你身上能作什么。”让我深受感动:神宝爱的是人对他的信心,而且是一颗真诚、渴慕、寻求的心,此时让我想到圣经上记载:“他因软弱被钉在十字架上,却因神的大能仍然活着。我们也是这样同他软弱,但因神向你们所显的大能,也必与他同活。你们总要自己省察有信心没有,也要自己试验。岂不知你们若不是可弃绝的,就有耶稣基督在你们心里吗?”(林后13:4-5)
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おすすめ動画
朗読 聖霊が諸教会に語られた御言葉「救い主はすでに『白い雲』に乗って戻って来た」
https://youtu.be/zT1KmWDza74
朗読   神の言葉「神の現れによる新時代の到来」(抜粋)その1https://youtu.be/zahiSXI1Cy0

日々の神の御言葉「自己の観念で神を規定する人がどうして神の啓示を受けられるのか」(抜粋 1)
 神の働きは前進を続けており、その目的が変ることはないが、神の働きの実行手段はたえず変化しており、それによって神に従う人々も変化していく。神の働きが多ければ多いほど、人はいっそう深く神を知るようになり、それに応じて人の性質も神の働きとともに変化する。しかし、神の働きがたえず変化しているため、聖霊の働きを知らない人々や真理を知らないばかげた人々は神の敵対者になる。神の働きは人が抱く観念とは決して一致しない。神の働きはいつも新しく、決して古くないからである。神は古い働きを決して繰り返さず、むしろこれまでなされたことのない仕事を行う。神はその働きを繰り返すことはなく、人は例外なく神の過去の働きに基づいて今日の神の働きを判断するので、神が新しい時代の働きを各段階で実行するのは困難を極める。人はあまりにも多くの妨げとなる物を突きつける。人の考えは偏狭すぎる。誰も神の働きを知らないのに誰もがその働きを規定する。神から離れたら、人はいのちも真理も神の祝福も失ってしまうのに、神が人類に与えるいのちや真理を受け入れず、ましてや大いなる神の祝福も受け入れない。すべての人は神を得たいと願っているのに、神の働きのいかなる変化も許容することができない。神の新しい働きを受け入れない人々は、神の働きは不変であり、永久に停滞したままであると信じている。彼らの信条によれば、神から永遠の救いを得るためには律法を守ってさえいれば十分であり、悔い改め、罪を告白しさえすれば神の心は永遠に満たされる。彼らは、律法の下の神、人のために十字架につけられた神だけが神のはずであると考えている。また、神は聖書を超えるべきではないし、超えることはできないとも考えている。まさにこうした考えが彼らを古い律法に堅く結びつけ、死んだ規定の中に束縛し続けてきた。さらに多くの人々が、神の新しい働きは、たとえどのようなものでも預言による裏付けがなければならず、その働きの各段階で、本心で神に従うすべての者には啓示が示されなければならない、そうでなければそれは神の働きではありえないと信じている。人が神を知るようになるのはただでさえ決して容易なことではない。さらに、人のばかげた心、ならびにうぬぼれという反抗的な本性を考慮すると、人が神の新しい働きを受け入れるのはなおさらむずかしい。人は神の新しい働きを入念に調べず、謙遜して受け入れることもない。むしろ、軽蔑的な態度をとり、神の啓示と導きを待つ。これは神に反抗し、敵対する人の行動ではないだろうか。そのような人たちがどうして神の承認を得ることができようか。
『言葉は肉において現れる』より引用

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